30年前の今日
まだサラリーマン時代
すでに結婚していて、長女が生まれて数ヶ月
共働きだったが、家内は産休中だった
朝、神戸がすごいことになっている映像は、なんとなく覚えている
確か、火曜日だった
会社は火・水が定休日だが、仕事があり9時過ぎくらいに出社
何名か来ていたように思う
大変なことが起こった という程度の共有
会社でTVやラジオを聞くこともなくもちろんスマホもないので
残務処理をしていたように思う
まさか6,000名の方が亡くなる惨事だったとは・・・
当時はまだ建てた住まいのデータ化も進んでおらず(3.11には活かされた模様)
引渡済みのお客様の住まいがどうなっているか
把握するのは大変なことだったようだ
覚えていることは
私の同期を含めて、かなりの人数が関西に異動になり、再興にあたった
被災地の工事可能な枠が決められ
東京在住、長田に建築予定のお客様が本社より紹介され、担当した
まずは契約 10ヶ月後の着工枠を確保し、その後、図面の打合せなどを行った
確か年内に着工し、地鎮祭のときに初めて長田に行ったと記憶している
いろいろと復興は進んではいたが、まだまだだったように思った
あの時はボランティアに行こうなどとは思わなかったな
*そういえば何十年ぶりに前職を夢を16日朝方に見た