久野明子さんの講演会に参加しました。
日本人初の女性海外留学生の一人、大山捨松さんのひ孫さんです。
政府主導による10年間の官費留学。
当時、国費とはいえ、女性が海外に行くことには抵抗感が強かった日本。
公募してもほとんど集まらなかったそうです。
そんな中、5名の女性(といっても9才から16才)が参加。
メンバーの特徴として
①親族に海外へ行った経験のある
②いつかは薩長を見返そうと考えている
そんな共通点が見られたそうです。
年長のふたりはアメリカに馴染むことができず半年ほどで帰国。
残ったのが津田うめさん・瓜生繁子さん、そして大山捨松さんだったそうです。
ちなみに捨松という名前は、渡米の際につけられたそうです。
10年アメリカに行くということは捨てたも同然で送り出したといことと
それでも10年後の帰国を待っている そんな二つの思いが込められているそうです。
アメリカのバッサー大学卒業式に際しては、
卒業生総代の一人に選ばれ、
卒業論文「英国の対日外交政策」をもとにした講演を行ったそうです。
お国のために役に立つ そんな思いを抱いて帰国した捨松さん。
しかし実際には女性が国のために役立つ仕事は有りませんでした。
いろいろ悩んだあげく、結婚しなければ女性はお国のために働くことはできない。
そう意を決して、公爵の大山巌氏と結婚。
その後、鹿鳴館時代に、西洋の文化に慣れ親しんだ捨松さんは、積極的に参加。
鹿鳴館の花とまでいわれるようになりました。
本人としては、女性が社会に出るチャンスととらえ
自ら先頭に立って、奥様たちを社交の場に連れ出す役割を果たしたとのこと。
世の中のために生きる、女性が活躍できる社会にするために生きる。
個と公のバランスが崩れてしまっている現代。
とても考えさせられた講演でした。