三宅香帆さん


2000年5月 コロナの頃から参加している
ミーニングノートというネットコミュニティ

いつからか朝読書の時間があり
主宰者やメンバーが推薦する本を月1冊ずつ読んでいます


なぜ働いてると本が読めなくなるのか
2024年7月に読んだ本
著者の三宅香帆さんは長女と同じ1994年生まれ


なんと11月には
好きを言語化する技術も読みました

そんなこともあって読書会メンバー同士で情報交換する中
三宅香帆さんのリアルイベントが1月に開催されると知りました

自分の人生や価値観、思考を正しくストーリー化し、
多くの人に届けたいと考えている方に特におすすめの講座
との触れ込み

コミュニティメンバーとともに参加してきました

そもそもこうしたイベントに参加される人たちは
学ぶ意欲が高く、自分事で生きている人たちばかり

参加者とのセッションなど楽しませていただきました

懇親会で少しだけお話する機会があったので
「雨のみち」を辞書に載せたいと言ってみたところ
簡単ではないこと の が入っているのはなかなか難しいなど
ご意見をいただきました

雨のみちをデザインする

20年以上つかっているので
雨みち・雨道 などちょっとイメージも違ってしまうなと思います

「緑のカーテン」はウィキペディアでも出てくるので
いつかは「雨のみち」も登場するといいなと思っています

日本大学藝術学部


お邪魔する機会がありました
玄関先にはビルステン 有り難いことです


学生と企業 産学で何ができるのか
いろいろなお話を伺うことができました

偶然、講師としてお仕事をされている
丸谷さんの息子さんにも通りがかりでご挨拶ができました

建築関係でもいろいろな方が学生たちにお話をされているようです

日本大学藝術学部

中池袋公園の小さなビル「Luce Jardin」

中池袋公園にできた商業施設と住宅の8階建ての複合ビル
キー・オペレーション小山光さんの設計です
7~8階が住居 張り出した木の天井
公園の点灯する樹木とは違った、良質な雰囲気を街に提供しています
どんな人が住んでいるのだろうって想像しちゃう方もいるのでは?


1~2階はすでにドーナツ屋の出店が決まっているようです
このすぐ奥に行きつけのイタリアン(アビアント)があるんですが
そのオーナーにもドーナツ屋の情報は入っているようでした
行列ができるお店のようです


立ち退き問題、コスト調整など4年ほどかかったプロジェクト
プラン→完成までの経緯についても小山さんからお話を伺うことができました

3~6階はどのようなテナントが入るのかも楽しみです
建築費が高騰する中、いかに回収するかは商業施設として最重要な課題です


アニメな街なので、そんなテナントが入ってくるのかもしれません
行く機会が多い場所なのでチェックしてみたいと思います


8階の居住スペース
ボルタリングができたり、ガスの暖炉があったり
住まい手さんの要望が取り入れられています


公園に向かったカウンター こちらもオーナーの要望とのこと
勉強や仕事をする場所となるようです


滑り台も当初からの要望とのこと
上下階含めて動き回れる楽しい空間になっています


8階ロフト
ここにはネットを貼ったり、ハンモックが吊るされる予定だそうです
楽しい空間になりそうですね


張り出したところには緑化も行われます
自動潅水で管理できるようですが手入れも必要
右手上部にワイヤーがつけられています
このワイヤーに自身のハーネスをつないで作業するとのこと

8階という高所での作業はなかなか大変が
メンテナンスを安全に行えるようにしておくことは大切です

日中は緑が楽しめるビルになります

街や公園に対してちょっと開いた建築
エリアの価値を高める建築は地域にとっても大切ですね

中池袋公園の小さなビル「Luce Jardin」
設計:キー・オペレーション
施工:渡辺建設

ヒイル酒

東京商工会議所板橋支部50周年を記念して
ヒイル酒(クラフトビール)を作りました


先日行われた板橋支部の賀詞交歓会でお披露目
300名の方にご参加いただきました


東京商工会議所板橋支部会員のお店で一部無料配布されます
詳細は こちら からご覧ください


このラベルのデザインは50周年ワーキンググループメンバーの
オフセット岩村代表取締役の岩村さんにお願いしました

150年前に下板橋塾でつくられていたヒイル酒(クラフトビール)
これまでお世話になってきた
板橋区民の皆さん、板橋区内企業で働く皆さん、板橋区に関係する皆さん
数量限定ですが振る舞い酒として楽しんでいただければと思います

150年前のクラフトビールをつくった職人の想いを
架け橋でつなぐデザインとなっています


ワーキンググループメンバーの皆さん
事務局の皆さんのご協力がありなんとかここまで来ました

ありがとうございました

板橋区限定「ヒイル酒」誕生

近未来の卓越した社労士へ


弊社で労務関係の顧問契約をいただいている早坂事務所さん
そこの主催する合同セミナーでお話する機会をいただきました

社労士さんにどんな話をするのか?
恐らく中小企業経営者と会う機会も多いと考え
いつものように
雨のみちをデザインするお話をさせていただきました

ちなみに一人目は、フォーストラストジャパン黒澤修一さん
フィードバックのお話、する側、される側どちらも大切です
新年、本社・秋田工場での夕会では30分ほどお話しましたが
社員の皆さんからフィードバックをいただいています
現在そのコメントを読みながらまとめを制作中です

二人目は、プライムコンサルタントの奥俊晴さん
賃金の話、とても参考になりました
ベースアップなど賃上げが当たり前なインフレ時代に
どのように配分すべきか?
中小企業にとって採用が厳しい時代に
業界内でどのような立ち位置で考えるか?
シミュレーションの仕組みなど、興味深いものがありました


「融合・人的化学反応!」近未来の卓越した社労士へ
そんなお題で開催された合同セミナー

以前、ジュエリー会社の大先輩から聴いた話をさせていただきました

ダイヤの原石はダイヤで磨かれる
人も人とのかかわりの中で磨かれる

連休の中日にもかかわらず
阿佐ヶ谷に40名を超える社労士の方が集まるってすごいことですね

13:00~18:00まで、ぶっ通しの勉強会 私も学ぶ機会となりました

その後の懇親会にもほぼ全員参加
いろいろとフィードバックを頂き感謝です

早坂仁一さん 良い機会をいただき感謝です

シモメアパートメント


目黒川近くにできたシモメアパートメント
1階は店舗、2~5階は共同住宅


この樹木は建て替え前からあったものだそうです
良い目隠しにもなっていました


店舗の外側にも余地が生まれています
どんなお店が入るのかも楽しみですね


ビルアルミを採用いただきました
ありがとうございます
高強度支持金具でピッチを広げ設置しています


構造の壁と窓の位置から
対角上に視線が抜ける感じ
場所の割には、外とのほどよい距離感が感じられます


3階のダイニング 開放的な生活ができそう


2階のキッチン 樹木の緑がきれいです


屋上も気持ちが良さそう


多数の建築関係者にお会いすることができました
いろいろと情報交換もできてよかった
今年も良い1年になるといいですね

駒田剛司さん駒田由香さん
お忙しいところありがとうございました
由香さんには翌週の別の見学会でもお会いできました

シモメアパートメント
設計:駒田建築設計事務所

原宿こども園&草間彌生美術館


建築七福神ツアー2025
6つ目は
渋谷区SCC千駄ヶ谷コミュニティーセンター・原宿こども園
隈研吾さんの設計です


◯が様々なところに
1階ではビールもいただけるようでした
この施設でしか飲めない作りたてのオリジナルクラフトビールらしい



こんな感じで◯がたくさん


ちょうどいらっしゃった福祉施設の方に丁寧にご案内いただきました
感謝です 屋上まで見せていただきました


地下1階のサークルホール
着席で150名程度入れるようです
こういう場所が身近にあるっていいですね


建築七福神ツアー2025
最後、7つ目は草間彌生美術館 バス&徒歩での移動でした


よく自転車で通るので以前から気になっていました
予約をしないと入れないようになっています
結構ギリギリの時間になんとか入場できました


屋上に置かれたかぼちゃ
中央にサインがありました 2024年の作品のようです
海外の来場者が多かった感じです

建築七福神ツアー2025 楽しませていただきました

東京建築アクセスポイント

大人になった僕たちはどう生きるか

とある区内の異業種交流会で
57才現役で世界一周された
中小企業診断士の松井洋治さんのお話を伺う機会があった

私とは1年違い、今年還暦とのこと

2023年に3ヶ月半の世界一周の旅の話

日本にとって見習うところの多い国
そのトップ2は、イスラエルとノルウェー
両国の共通点は、男女徴兵制とのこと
男女の仲がとてもよく
それぞれのできることを理解し、補い合っていると感じたようだ

こんなテーマで哲学対話してみたらどうだろうか?

大人になった僕たちはどう生きるか
松井洋治さん

30年前 30才だった

30年前の今日

まだサラリーマン時代
すでに結婚していて、長女が生まれて数ヶ月
共働きだったが、家内は産休中だった

朝、神戸がすごいことになっている映像は、なんとなく覚えている
確か、火曜日だった
会社は火・水が定休日だが、仕事があり9時過ぎくらいに出社
何名か来ていたように思う

大変なことが起こった という程度の共有
会社でTVやラジオを聞くこともなくもちろんスマホもないので
残務処理をしていたように思う
まさか6,000名の方が亡くなる惨事だったとは・・・

当時はまだ建てた住まいのデータ化も進んでおらず(3.11には活かされた模様)
引渡済みのお客様の住まいがどうなっているか
把握するのは大変なことだったようだ

覚えていることは

私の同期を含めて、かなりの人数が関西に異動になり、再興にあたった
被災地の工事可能な枠が決められ
東京在住、長田に建築予定のお客様が本社より紹介され、担当した

まずは契約 10ヶ月後の着工枠を確保し、その後、図面の打合せなどを行った

確か年内に着工し、地鎮祭のときに初めて長田に行ったと記憶している
いろいろと復興は進んではいたが、まだまだだったように思った

あの時はボランティアに行こうなどとは思わなかったな

*そういえば何十年ぶりに前職を夢を16日朝方に見た

阪神・淡路大震災